深澤純二  トレードを科学する塾長

非推移的数論を活用し、マーケットをテクニカル分析します。

愛は壊れやすいゆえに尊い。

名アナウンサー

名アナウンサーのナレーションは芸術の域に達している。

名アナウンサーとは何か。何気なくつけたテレビで、興味もない分野にも関わらず、しばし聞きほれてしまう音感を振動させるアナウンサーである。

その音感には、広角の音域を有した、独特の低音ビブラートがありうる。

声を聞いた瞬間、そのナレーションには、瞬時に了解される魅力がある。

情熱

パソコン草創期の著作を耽読している。名著である『コンピュータには何ができないか』『思想としてのパソコン』『エージェントアプローチ人工知能』『心の社会』など。パソコンのことを語るときには、興奮のあまり常軌を逸してしまう人間たちの集まりに感極まる。熱狂である。真に健全な知性の想像力と最高度の技術力が高められて誕生したのがパソコンである。パソコンとは単なる一技術などではなく、実に最高度の人類知性と精神の淵源からの贈り物である。後世の歴史家は、人類史をプレデジタル時代(アナログ時代)と、デジタル時代に二分するであろう。それほど巨大な変革である。今までの人類史には狩猟漁労から農耕社会、産業革命など大きな変曲点があり得た。しかしデジタルのそれは、これらすべてを凌駕してあまりある。マクルーハンの言う新しいメディアであり、文明全体の思考パターン、思考方法自体を変革し決定づけるのである。

ドラッカーは言う「情報は経済の支点となるべく運命づけられている」。

みにくい表情

最近のニュースで拝見する経営者の醜さ。その全身からは、知性も、誇りも、威厳も、矜持も、精神的気品を含め何も感じられない。その表情から伺えるのは、精神の脆弱さ、貧弱さ、薄弱さ、下品さであり、責任を他になすりつける偏狭な保身術である。

彼らの経営感覚は、かつての、おじいちゃん・おばあちゃん・お母ちゃんで営まれているさんちゃん農業の世界である。自給自足の家族経営である。家族以外は敵である。

資本主義経済において重要なのは創造的破壊者である。停滞と因習を打破し、新しい展望を提示できるのが創造的破壊者たる真の経営者である。

このような優れた経営者も、もちろん居るであろう。

もっとも、優れた経営者は、経営者としての手腕と賢明さをいかに表現するかにも細心の注意を払うであろう。優れた経営者をもっと見たいものだ。

なし崩し

ニッポン放送とフジテレビの経営者も従業員も、このままなし崩しでライブドアに順応してゆくのであろうか。前回発表した社員一丸となりライブドアに反対するとの声明を残しておこう。

http://www.1242.com/info/seimei/

ライブドア側は資本の論理でどこまでも動いて欲しい。ライブドアの経営参画後、ニッポン放送とフジテレビの従業員は、給与一律20%増加くらいの明確な数値を発表すべき。このくらいたやすいであろう。

http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1029270/detail

資本主義経済においてのプロトコルはお金である。

経営者の資質

バフェットは言う。「無能な経営者ほど退陣させるのは難しい」。従業員にはある程度明確化した判断基準がある。しかし経営者にはそれがない。矢を放ってから自ら的を設定することも可能である。ニッポン放送、フジテレビの経営者の言動は、落日のフェードアウトと、思考せぬ人間の愚鈍さを感じさせるのみである。愚きわまる鈍とは、まさにこのことである。当該企業の従業員においても、社会の進捗スピードとインターネットの本質を了解してる者はいるであろうか。いるならば、あのような社員声明は出さないであろう。

http://www.1242.com/info/seimei/

彼らは自らの文言にどこまでも責任を持てるであろうか。例えばライブドア側がいくらかでも経営に参加する事態になったら、どうするのであろう。社員一同、退社して、別会社をつくるとでも言うのであろうか。それだけの度量があるだろうか。

一時的な感情のみで判断する経営者と従業員の見本とならなければ良いが。

ニッポン放送との名称は、ある歴史的象徴でもあろう。いっそ今回を機に大本営放送とでも社名変更したらいかがであろうか。

よく考え、議論し、より生産的な高次の結論を導くという、仕事の基本(人間の基本でもある)が出来ていない。考える以前に感情的に判断してしまっている。IBM創立者トマス・ワトソンは「think(よく考えよ)」という文言を常に口にしていたという。考えること自体ができる経営者も従業員も、実に少ない。

また、裁判所の提示した判例について。万が一逆の判決であったなら、外国人投資家が国内市場から逃げ出す可能性があったろう。歪な身内社会である日本市場の奇妙な論理に、嫌悪感を感じて。そうではなく、本当によかった。

インターネット

インターネットとその将来を象徴させる事件があった。3月10日未明の六本木で泥酔した国会議員が逮捕された。「私には不逮捕特権がある」と言った彼の身元を確認するため、警察はノートパソコンを立ち上げ彼のホームページを閲覧して、驚きの声を上げた。そこには眼前にいる彼の写真があったからだ。

火急を有する身元確認に、思えばインターネットほど有用なメディアはない。これはこれからの情報社会を啓示する出来事であった。

資本の論理

金の力(資本)で物事を動かすのはけしからんという珍妙な言説が聞こえる。

当然のことであるが、証券市場は資本の論理(金の力)で動いている。「こころが正直」「宗教心が豊かである」「自己犠牲の精神がある」ような企業が、これら精神性を資本に上場できるであろうか。そのような企業が現実にあるか。

世界の広さからすれば、証券市場なぞ、みすぼらしい、狭い世界の一つに過ぎない。そこで通用する唯一の貨幣は、資本の論理である。

上述の如き珍妙な言説の持ち主の誤謬は、それが世界のごく小さな一部であると、冷静に思考できない精神の脆弱さと薄弱さにある。

証券市場の渦中にいる人間には、世界のすべてが証券市場であるがごとき、自分が世界の中心にいるがごとき、滑稽な妄想にとらわれている。

当たり前のことをどこまでも当たり前に考えられる精神の強靱さが求められる。

そうでなくては正確な思考はできない。

思慮深さ

テレビ、ラジオ、インターネットをメディアとして捉える論調が浮上している。「テレビはなくなる」「インターネットはテレビを飲み込む」等である。まず、ラジオ放送局の株式売買について。「ラジオってまだ放送しているのだ」というのが最初の当方の感想である。「リスナー」という言葉も久々に聴いた。ラジオはまだ放送しているし、その聴取者もいるというのが驚きに近い実感である。

テレビも殆ど見なくなった。夜10時のニュースを駆け足で数本ハシゴするくらいである。

テレビやラジオといったかつてのメディアは、当方には限りなくかすんでいる。明日から双方とも消滅しても、気づかないほどでもある。

テレビやラジオ関連の論調の愚かさは、テレビやラジオは皆が視聴するものであるとの大前提に立脚している点である。数の論理から行けば、聴取する方が多数派であるか、少数派であるかは、時代感覚の推移に過ぎない。魅力と使命を喪失しているのは間違いない。「テレビに出たがる奴は二流、見たがる奴は三流」という文言は、インターネットが普及するはるか以前から言われていたのである。テレビの「一億総白痴化」とは、今から思えばまさにテレビ全盛時代に言われたことである。基本的な事であるが、テレビやラジオにまったく無縁で生活している教養人も多数いることへの配慮が欠如しているのは、まさに白痴化の権化であろうと、推察される。

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